子供は話すのは
そんなに問題はないけど、
文字の読み書きが厳しいと
毎回、
三者面談で言われています。
…そうだよね…
学校に行けば皆英語なので、
コミュニケーションはおのずと英語。
遊びたかったら英語を喋るしか道はない。
そういう環境なので、
ヒアリング、スピーキングは、
幼稚園、小学校低学年くらいから、
教育機関に行っていれば、
大人みたいに、
「文法とは?発音とは?」
そんな小難しいことを考える間もなく
身につくことが多いと思います。
でも、見ていて、
子供なりに喋れない頃は
ストレスを感じていた様子も見えましたが、
今はそれは解消されているようです。
もう、
何回も何回も先生に、
「お家でなにかしてる?」
そう聞かれては、
「特に何もしてません」
そう答えるレチョ子…(‘ω’)
小学校の頃は無理にやらせなくていいかなぁって、
私も旦那も思っているので、
そんな感じだったんですけど、
私の英語力を伸ばすという裏名目で、
家でもちょっとだけ勉強を始めました。
「文章を書く」
「文章を読む」
これが苦手だということなので、
簡単な絵本を、
毎日一ページずつ書き取りして、
読む。
そして、
読めなかった単語を書きだして復習する。
今はそれをしています。
まるまる単語を書けるように
暗記するのは
ちょっとまだハードルが高いようなので、
まずは読めること。
音にしてしまえば、
意味は理解できるので、
そこは少し楽なのかもしれません。
苦手意識で、
好きな物に対しても
謙遜しちゃうような感じに育つと
後が辛いとレチョ子は思います。
自分自身、
色んなことに中途半端に手を出して、
「自分はこれが出来る」
そういう自負の無いまま
中年になってしまったので、
なんとなく、
地に足がついてない感じがします。
もちろん、
一流というところまで
目指さないといけないのは、
厳しいかもしれないけど、
自分はこれだったら、
そこそこ出来る。
そういう風に思って
人生を歩んでいける何ががあるって、
大きいんじゃないかって。
きっと、
「井の中の蛙だったな」って
思う日も来ると思いますが、
それでも、
他人から見て、
同じようなレベルだとしても、
「自分はできるんだから、もっと頑張れるはず。自分ドンマイ」
そういうメンタルの人と、
「やっぱり、自分はこれくらいしかできないんだ。さよなら自分…」
なんて、思ってる人だったら、
前者の方が、
生きていくのが
前向きで楽しいんじゃないかって思います。
自意識過剰な若者は
面倒くさいかもしれないけど、
若い子が、
自分は社会に出て、
何もできることが無い、
何のために
産まれてきたのか分からない、
生きていくのが
辛くて辛くて仕方ないって思うよりは、
マシなんだろうって。
それも、
子供ができたから
思うことなのかもしれないなぁと感じる
レチョ子でした。
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